「 存在 気付かせたくて 」7人を殺害した 東京 秋葉原の無差別殺傷事件の容疑者の供述
世間を震撼させるような事件を起こした人物だけれど
だからと言って 私とまるで 別のところに立っていると言う気がしない
もちろん 彼のしたことはけっして 認められないし 許されない
だけれども 彼の心の奥にある闇の部分は
もしかしたら 誰の心の中にもあるものかもしれない
誰かに自分の存在に気付いてほしい
「俺は ここにいるんだ」
彼の場合 その気持ちをコントロールすることができなくて
こんな結果に繋がってしまった
中学生のころ
私は 俗に言う 優等生だった(笑)
「文部省推薦」?と 陰口を叩かれることもあった
でも それは 今考えると
髪を染めて 規則からはずれた制服を着た男の子と 同じだったと思う
自分を 表現する方法が 全く正反対であっただけで
<つっぱっている>姿勢は同じだもの
優等生という言葉は ちっとも褒め言葉なんかじゃない
型にはめることでしか 自分を出せない
表現の偏った不器用な人間を称する言葉だ
髪を染めたり 規則を破ったりする勇気(?)がない私は
規則を頑なに守ることで 自分を存在させようとしていた
私とその男の子は 正反対のところに立ちながらも
内面では 一番近いところに立っていたかもしれない
自分を 知って欲しい
強い自我 自意識 他の人とは 違う存在を示したい
この頃の私と亀梨君は もし 同じ空間にいたとしても
永遠にすれ違い続ける二人だったろう
心の奥にあるものが 似ていたとしても
あまりにも表現の仕方が違いすぎて
お互い 共通点を見つけることができなかったと思う
アイドルとしての彼の魅力も理解できなかっただろうし
惹かれることもなかっただろう
ときを経て あの頃の自分を微笑ましく思い
今 <不良妻><不良母>を楽しめるときが来たこと
運命のいたずらに 感謝(笑)
「個性的であれ 人と違う存在であれ」
少し前から こんな人間像が求められるようになった
ちょっと待って!
こんな難しいこと 間単に言わないで
「我慢が大切 こつこつやることがいいことだ」
こっちの方が 随分簡単じゃないの
それが 今はこう変わったんだなんて 簡単に言わないで
子どもたち 若者 そして 大人たちでさえ 途方にくれている
私も子どもたちにそう言い続けてきたし
自分にも そう求めてきた
「型にはまらないで 自由でいいのよ」
いっけん物分りがよさそうに見えて
とてつもない 難しいことを要求する言葉
柔らかい響きに隠されているがゆえに
その言葉のしんどさに気付いてこなかった
小さいときから みんなから 飛びぬけた何かを持つことを要求される
その重圧を 今になって 知ることになった
「普通でいいんだよ」
「特別じゃなくていいんだよ 普通でいることが 素晴らしいことなんだ」
そう 言わなきゃいけないときが来たんじゃないんだろうか
何もない毎日を楽しむ
些細なシアワセを見つける
誰かに評価されなくても
自分は自分を認めてあげる
褒めてあげる
ブログを書いていて
コメントや 拍手は 本当に嬉しいもの
どんなにそれが 励みになっているか知れない
でも それだけに 左右されることは怖いと思う
秋葉原事件の容疑者は そこを間違えたんだと思う
現実の世界でも ネットの世界でも 振り向いてもらえない
淋しいことだけど
自分以外のものに 自分の評価をゆだねては 危ない
自分の存在は 最終的には 自分で 認めるしかないのだもの
亀梨君の あられちゃん眼鏡や 鬼太郎ヘアー
本人は <反抗期>って 言ってるみたいだけど
ファンの反応だけに自分をゆだねないで
自分を試すこと 大切だと思う
カッコイイ自分になるには どうすべきか
彼自身よく知っているだろう
だけどそればかり追求していたら
他の人の目から見た自分ばかりを追い求めることになる
外からの目や反応は 冷静な判断のためには必要だけど
それだけに流されることは 危険だ
と 言いながら カッコイイ私好みの彼が 早く見たい私だけれど(笑)
コンサートが今日から始まるけど
参加できない私には いつもとなんら変わらない一日
普通を楽しむ
そんな 当たり前で 難しい日々になりそう(笑)
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