ブログを始めて 一番嬉しいことは コメントを頂くことです
同じ気持ちだよ
出会えてよかった
楽しみにしています
そんな言葉を頂くと 心がジーンとします
うれしい気持ちでいっぱいになります
けれども
「ちょっと 違う意見だけど」と コメントを頂くことも
同じくらい嬉しいのです
少し前のエントリィで 「究極の恋」の話をしました
その中で ひと恋のストリィ展開について
「弘人には工場を手放して欲しくなかった」
と私の思っていることを 正直に書きました
弘人が一番大切に思っていたものを捨ててしまうなんて
物語が根底から崩れていくようで
どうしても これだけは譲れませんでした
でも 私の記事を読んだある人から こんな意見を戴いたのです
その人は 弘人に こう声をかけていたそうです
自分の人生を縛るようなものは 捨てなさい
いくら大切でも 駄目だと思ったら諦める
違う道を考える 救いのあるうちに
本当に 大切なものを守るために
私は 頭を直撃されたような気持ちがしました
もちろん
ドラマの解釈ですから
どれが正解で どれが間違っているなんてありません
でも
これは ドラマのことではないのです
諦められないのは 弘人じゃなく 私だったことに気付いたのです
ずっと 続けていた仕事を辞めた私を
私は まだ 許していなかったんだ
もう 忘れたことにしていたけれど
仕事を投げ出した私を まだ 私は許していなかった
いろんなことに対して
諦めるということが 嫌いだった
「諦める」と言う言葉が嫌いだった
一生懸命やれば何とかなると言い聞かせてきた
自分にも 子どもたちにも
そして 思いが叶わないとき
それは 努力が足りないからだと 自分や子どもを責めてきた
私が許していないのは 弘人ではなく 自分だ
今まで頑張ってきたことを 最後に あきらめた自分だ
たかが ドラマのこと
そんなに深く考えなくても・・・
たしかに そう
でも 人って 些細なところで本当の自分を見つけたりしませんか
普段は 取り繕っていること
頭では納得しているはずのこと
無意識に全然関係のないところで出てきたりしませんか
私にとって ドラマというのは
そういうきっかけになるものだと思うのです
私が悩んでいた頃
いろんな本を 図書館で借りて読みました
その中には 「あきらめる」という本があって
まさに このことが書かれてありました
無理だとおもったら 諦める
そして 別の道を進む
悩んでもしかたないことは 悩まない
それを 受け入れる
すごく納得して家族のものにまで内容を話していたのに
やはり 自分を変えることはできていなかった
諦める人は 弱い人 ・・・ まだ そう 思っていた私
改めて本当の自分の心の中を見たようでした
諦めることは
けっして 後ろ向きではない
前へ進むことなんだ
諦める勇気が必要なときもあるんだ
きっと こう言いながらも
何度も 何度も 同じ事を
言い聞かせながら進んでいかないといけないのだと思うと
自分の性格に呆れてしまいますが
これからも
こんな 面倒くさい自分と付き合いながら
毎日 過ごしていきます
私の拙い記事を真剣に読んで
真剣にコメントを下さることに感謝しています
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私は、弘人いつまでも拘らないで
工場を早く手放して欲しかったの
ananちゃんは、自分に厳しいんだね
私は、今まで色々なことに縛られてきた人生だったから
今は、とにかく前しか見たくない...
振り返っても、良いこと何もないから
あら、重たい話になっちゃった(^^ゞ
さあ、カツカツ見よう