昨日 午後4時半ごろ
デスクに戻った私に
「さっきの地震 大丈夫でした?」
隣に座っている女性が 尋ねてくれたとき
「地震って?」
そう 答えると同時に
前方にあるTVの画面に気がつき
呆然とする私
目の前の画面に映し出された光景が
今しがた ほんとうに起こった出来事だと飲み込むのに
どれだけかの時間が必要だった
別の場所で 仕事をしていたので
全く 揺れを感じていなかった私
そのとき 初めて 地震があったことを知った
「東京は?!」
TVの画面が宮城だと分かって
慌てて 東京にいる娘に電話してみるが
繋がらない
30分くらいして メールの返事が来て
やっと 生きた心地がした
部屋の中は 棚から落ちたもの 割れたお皿でぐちゃぐちゃ
あまりにも 揺れが激しかったので 怖くて
ひとりで マンションに戻ることもできず
家族の誰とも 電話も繋がらず
娘は ひとり コンビニにあるベンチに
2時間以上も 座ったままだった
マンションに戻ってもいいのか
どこか 避難所のようなところへ行くべきか
判断できない
娘は 混乱していた
誰かに それを尋ねる気力もなかったし
周りを観察して行動する余裕もなかったのだろう
こんなとき
家族が離れている不安が身にしみる
たかが日本国内
東京なんて近いもの
電話もあるし メールもできる
いつもは
そう思ってたけれど
こんなとき
東京との距離は おそろしく遠く感じる
やっと 電話がつながった
メールの返事は受け取っていても
声を聞くまでは安心できない
震えているような声
その日は 新潟から来た友だちが
娘のところへ泊まりに来る予定だった
友だちのご家族も無事で
彼女は 渋谷から歩いて娘のところへ
向かっているらしい
「ひとりで 部屋には入りたくないの」
娘は コンビニのベンチから 立ち上がろうとはしない
「まだ ときどき 揺れてるし」
体力が低下したり風邪をひいたりすることを心配する私に
今にも消え入りそうな声
地震の激しさと そのときの娘の恐怖を想像すると
すぐ その場へ駆けつけたかった
しばらく話すことで落ち着きを取り戻した娘は
いったん マンションへ帰る気持ちになった
そして
お友だちは 11時半頃 無事に娘のマンションについた
こんな日に たまたま東京に来ていて
長く歩いて くたくたに疲れただろうお友だち
大変だったね
「こんな夜 ひとりで過ごさずにいられて娘も心強かったと思う
ありがとう」
今日になっても 朝からずっと TVを消すことができない
画面を見ると 辛くなる・・・
被害を受けた方たちが 少しでも早く
落ち着いた生活を 取り戻せますように・・・
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やたら長くて大きい揺れでした。
グ~ラ~グ~ラ~・・(以下、数十回繰返し)
グシャッと崩壊するのかと、覚悟しちゃったほど。
首都圏は、土曜の昼には表面的に落ち着きましたが、
実はスーパーやコンビニに食べ物が少ない。。(^^;
新鮮な食べ物どころか、ウチの近辺では
カップ麺さえ売り切れ。ホントに1個も無い。
いつ入るか聞いても、分からないとのこと。
残ってるのは、お菓子とか小麦粉くらいだったから、
念のために買っときました。
5日間くらい混乱が続くかもしれませんね。
その程度ならいいけど、余震や原発も心配です。
このまま収まって欲しいもの。。
娘さん、携帯だけが頼りだったんでしょうが、外で
電池がよくもちましたね。つながったのもラッキー。
僕は夜中までつながりにくい状況が継続。
まあ、固定電話はかなりマトモだったし、
ネットも十分使えたけど。
遠方の友人が、あの大混乱の中、娘さんの所まで
歩いて来てくれたんですか! ドラマや小説の世界。
渋谷は騒然としてたはずなのに、素晴らしい友情
ま、僕に連絡くれればランニングで行ってたけど。
そりゃ、余計あぶないか♪
まあでも、首都圏のトラブルなんて、
東北の被災者の方々に比べれば何でもないこと。
とにかく、一刻も早く東日本が落ち着きを
取り戻すことを祈りましょう。
彩花さんも、地震への備えは万全にネ。
ではまた。。