善と悪
人間の中にある善と悪
自分の中に存在する悪の部分を認めるこれは この歳になって やっと
私もできるようになってきたかなぁと思う
今までは
悪の部分を見たくなかったから
できるだけ 隠そうとしてきた
もちろん 人に迷惑をかけてしまうようなことは
ダメだけど
少しの弱さや 汚さ
人間だもの 仕方ない
最近は そう思える
無理に隠そう 目を背けようとするから
それは 抑制されて 別の方向へ流れたり
蓄積されて さらに大きくなってしまったりするんじゃないかしら
だから
<悪を受け入れることができれば 人間になれる>という
名前のない男の提案も 一理あるとは思う
だけど それは 精神的な部分のこと
ひとりの人間の中での戦いであって
目に見えることじゃない
なら それを
ドラマの中では どう表すのか
元は 1つの存在が
善と悪という 2つのカテゴリーに分裂したできた
ベムたちと 名前のない男
同じ人間の内部であるなら
善と悪 2つが上手く溶け合うことは
大切なことだと思う
だけど
善と悪の象徴となる彼らが
物質的に見える形で 1つになるというのは
ドラマとして どうなのだろうか
悪の存在である名前のない男が
ベムの中に入り込むというような映像が もし作られるとすれば
それは ドラマを観ている子どもたちにとって
好ましいとは言えないと思う
私たち大人っだって 違和感を感じるだろう
人間の内部の葛藤としては
とても 面白いテーマだけれど
映像として見せるのは かなり難しいと思う
たぶん 子どもたちには理解することができないだろう
単に 善が悪に負けてしまったかのように捉える心配がある
だから ベムたちが名前のない男を受け入れるという展開には
無理があると思う
では ベムたちは 人間になることができないのか・・・・・
人間になるとはどういうことを意味するのか・・・・・
最終回
どんな結末を迎えるのか
楽しみであるとともに
少し心配もする
SPや映画化は 望むべきことだけど
そのために このドラマ自体の完結が歪められたり
制約を受けたりするのであれば
このドラマが 今まで目指していたものが失われてしまう
2つを両立させるのは 大変なことだと思うけど
きっと 驚くような展開を見せてくれると期待したい
このドラマが終わるとともに
私の冒険旅行も終わる
こちらでの滞在も 残り2週間を切った
このドラマの展開とともに
私のこちらでの生活もいろいろと変わっていった
この場所に住んで 考える<人間という存在>
<自分という存在>
まだまだ 答えは出ないし
これからも たどり着けないのだろう
でも それを考えることを忘れてはいけないと思う
ずっと 正義を貫くことはできなくても
そうあろうとすることに意味があるのと同じように
このドラマを思い出すとき
私は ここでの生活を思い出すに違いない
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コメント
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鍵コメさんへ
自分のことを考えてくださる方がいるというのは
なんというしあわせなのでしょう
ほんとに ありがとう
お言葉に甘えていいかしら
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