貪欲と意欲は
似てるようで 同じじゃない
余裕 と 意欲は
逆の方向にあるようで
実は 同じ方向にあるものなのかもしれない
目の前に チャンスがあって
たとえ それをすべて自分のものにできるとしても
本当に必要な分だけを手に入れて
残りは 自分の周りの誰かのために置いておく余裕
それが 人を深く大きくし
周りを幸せにし
そして 自分を幸せにする
最近読んだ本に
そんなことが書かれてあった
頑張って 前へ進め
そう思って生きてきた自分の欲望は
いつの間にか
意欲的という枠を超えて
貪欲という域にまで 膨れ上がっているのではないか
そんなことを 思っていたときに
シュウイチの <箱根旅行>を見た
ベストア Mステ
そして 楔のPV 箱根旅行
4人になってからの
KAT-TUNというグループの中の彼の位置
最初は違和感があった
もの足りない・・・
中央でなくて
少し 離れた位置から
グループ全体を見ているように見えた
ひとりひとりが どう生かされているかを
確かめながら
自分の出るべき場所を 見極めている
でも・・・
やっぱり 物足りない・・・・・
もやもやした気持ち
だけど やっとわかった気がした
その正体は <余裕>
「俺が前に」
若い日の彼や その他のメンバーは
「他を押しのけても 自分が前へ出る」
そんなむき出しのやる気に満ちていた
けれども
今の彼らは
いい意味での<自分の立ち位置>を理解している
そして 他メンバーの位置や役割を
お互いに確認しているように思える
彼は やっと手に入れた
自分がいつも頑張らなくてもいいという余裕
そして
自分が前に立っているときには
うしろに皆がいて
信頼してくれているという安心感を
「亀は 前へ出ることが多いから 大変なんだ」
<じゅんの>の雑誌での コメント
彼らは 大人になったんだなぁと思った
グループが 大きくなるとき
誰かひとりの活躍では 限りがある
全員が それぞれの持ち場を受け持ち
成果をあげることが必要となる
グループがいたずらにBIGになることを
望んではいない
誰にでも好かれるグループになってほしいわけじゃない
だけど
彼に
もっともっと
いろんな役柄に挑戦してほしいし
厳しい監督にしごかれてほしい
いろんな人の作詞作曲で 歌ってもほしい
それなら やはり チャンスがほしい
グループとしての知名度や露出がある程度必要だと思うの
今の4人
ひとりひとり 活躍できる位置を確立する
それが グループのためになり
ひとりひとりのさらなる飛躍のチャンスにも繋がる
グループとして 一回り大きくなる
それが 個人をステップアップさせる
みんなで もう一歩前へ
最近の<余裕を匂わせる彼>に
<大きな意欲>を見た気がした
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それは修二と彰でデビューするって時にグループとしてのデビューもできていないのにと抵抗をしたことからわかるように
ずっとずっと昔からですよね
亀梨君のKAT-TUN愛
私も亀梨君がKAT-TUNを愛しているならと
ずっとずっとKAT-TUNの中にいる亀梨君がデビュー前やデビューの頃に比べると影が薄くなること(具体的に言うとテレビでカメラに抜かれる時間とか、歌割とか)も仕方がないって思ってきたんですね
グループをおっきくするためには他のメンバーも世間に認知してもらい、亀梨君をしのぐほどに人気を得ないといけないんだって
そう言い聞かせてきたんです
というか、それがジャニーズのやり方だって思い込まされてきた感が無きにしも非ずで
で、最近は、もっと、自分が何を見たいかをストレートに言う必要があるって思うようになったんですね
一周回ったというか…
亀梨君にしてみたら
もっと見たいとファンが要望することは単純に嬉しいはずだし
テレビ局やレコード会社、ジャニーズ事務所に亀梨君を求めているという声が届かなければ
ドンドン亀梨君は影が薄くなるばかりだし
「ファンはタレントに似る」で亀梨君のファンって、いわゆる人格の優れた方が(私をのぞいて)多いので
きっと亀梨君押しよりKAT-TUN押しになりがちだと思うけれど
ファンはもっと自分の欲求に正直でかまわないと思います
亀梨君がグループを主体に考えることは素晴らしいことだと思うし
それを世間に訴えていくことは間違っていないと思うけれど
それとは別のベクトルで
亀梨君を求める声をファンが上げていく必要は、どんなに亀梨君が大きくなったと思っても、あると思うんです
人気なんて蜃気楼みたいなものですから、常に確認作業をしながら進めていかなきゃ、って思います
それに亀梨君を引っ込めとくのはKAT-TUNにとって、マイナスでしかないと思います
彩花様のおっしゃることは間違っていないし
その通りだと思います
取り越し苦労とお笑いください